ある夏の一日
首に纏わりつく水っ気の多い空気はすぐに大粒の汗へと変わった。1ヶ月ぶりに東京に一時帰宅した僕は、友人が開催している展示会場へ向かっていた。目的地には近づいてるはずだが、なんとなく不安な感情がじわりと押し寄せてくる。
Googleマップを起動し、目的地まで道案内の音声を流すことも頭によぎったが、再生中のPodcastに所々カットインする案内の細かい指示に嫌気が差すことを想像して思い止まった。橋に向こう側に見える渋谷の背の高い建物を指標にして、これまでの経験と数分前に確認したGoogleマップの記憶から作成した脳内の地図を頼りに目的地に向かうことにした。
青葉台という地名が表すように坂が多くなってきたのを自転車のペダルの重さから感じることができた。坂があるということは登る時間もあれば、同じだけ降る時間もあるような気がしていたが、何だか登ってばかりな気がしていた。
目指していた目的地は高台の頂上を目指す途中にあった。昔見た戦争映画に出てきたゲリラ部隊が潜むアジトに似ていた。
展示が行われている部屋にある窓から外を眺めると、眼前には学校のものと思われるプールが広がっていた。高級住宅地であるこのエリアに、ある程度の広さが必要で、かつ夏にしか稼働しないプールはおそらく肩身が狭い思いをしているのではないか。プールサイドは視認性が良いブルーとオレンジのラインで区画分けされており、雲がかった空に映えていた。去年の卒業旅行で訪れた沖縄にはこんな配色のアイス屋が所々にあった。沖縄で食べたもの繋がりだと、手前の手すりに絡みついた蔦は、海を眺めながら食べたタコライスに載った山盛りのレタスになるのかもしれない。どこまでも伸びる自由な海岸線を思い出して、心の中でプールを励ましてあげた。
そういえば今日はお昼を食べ損ねていた。昼と夜の通し営業のお店がこの辺になかったか思い出そうとしたが、頭に浮かぶことはなかった。
展示作品を解説してくれたジェシーに来年以降はどうするのか、ざっくりとした質問を投げかけると、「んー、おそらく地元に戻って作品を作ることになるかな。」と予め解答を用意していたかのように答えた。そこで彼にも帰る地元があったのだとふと思い出した。あまりの日本に馴染んでいたし、ずっと近くにいるものだと思っていた。
展示の終わりには彼の友人だというオーストラリア出身のロックバンドグループのメンバーが訪れた。彼はバンドメンバーに僕のことを紹介してくれたが、彼ら彼女らの英語はスムーズすぎて何も聞き取れなかったから、笑って握手をするだけで精一杯だった。
今日からひと月後はちょうどお盆休みで僕は久々に実家に戻るだろう。おそらく父の測量作業の手伝いが一日くらいは入りそうだ。今では機械の自動化で1人でも難なく作業できるはずなのに、父は僕のことを積極的に誘うし、そんな僕も父が働く姿を見るのが好きで、なんだかんだと誘いに乗ってしまう。
首の後ろに燦々と降り注ぐ直射日光の存在が大きくなってくる昼休み前の時間に、ジェシーが暮らしていたシドニーの日差しはこんなものじゃないだろうなと、ふと頭によぎった。この測量仕事が終わったら、行きつけのスーパー銭湯で汗を流酢ことにしよう。そういえばシドニーに銭湯はあるのだろうか。東京に戻ったら、メルボルンに帰る前のジェシーを銭湯に誘っておこう。そんなんてことをぼんやり考えていると、父の「基準点OK!」の声が橋梁に反射しながら届いた。