改札を通過した瞬間、電車の扉が開いた音が微かにした。歩きながら視線を左右に滑らせる。目的のホームへの道筋が線になって現れる。線に沿って大股で歩くと、すれ違う人の数がどんどん増えていき、線がぼやけてくる。まだ間に合うかもしれないと小走りになり、ホームへのエスカレータを駆け上がる。しかし、そこにはいるはずだった電車はなく、反対側のホームに逆方向の電車が到着する直前だった。
9月になった最初の土曜日。
ファッションビルのショーケースには秋冬物の服が並んでいた。昔よく通った雑居ビルの1階にある古着屋を思い出した。服は買わずに音楽の話ばかりしていた。
出張に来ていた父から連絡があった。どうやら帰りの新幹線まで時間があるので、立ち飲み屋で飲んでいるらしい。朝から降っていた雨は霧雨になり、気になるほどではなくなった。ちょうど近くにいた長男は父の元に向かうことにした。
父にメッセージを打ちながら歩いていると、古い建物ばかりが立ち並ぶ路地に出た。たばこ屋、空き店舗、インドカレー屋、金物屋。昔は賑わった商店街だったのであろうか。メッセージを送信すると、すぐに視線を足下に移し、道を急いだ。水の流れる方向や水溜りの位置を頼りに、道の起伏を大雑把に把握する。可能な限り雨水が少ない箇所に右足を置く。視線は走り続け、次の瞬間には左足が在るべき場所に向かって動いている。そんな動作を繰り返していると、スニーカーの底が地面を擦り付ける感触に違和感を感じ始めた。意識を足底に移すと、今いる場所が微かな丘になっていることに、少し遅れて気がついた。高架線を走る電車が横を通り過ぎていった。電車に乗っている人と目が合った気がした。
最後にDVDを借りたのはいつであったか思い返しながら、TSUTAYA前を通り過ぎた。
父がいた店は狭い路地の奥にあり、最初は気づかず通り過ぎてしまった。よく見たら昔友人と行った立ち飲み屋が斜向かいにあった。父は以前もこの店に来たことがある。その日も今日と同じような雨降りで、普段よりか空いているだろうと予測して来たらしい。店の壁には60年代のウエスタン映画のポスターが飾られていた。メニューを開くと砂漠と同じ色をしたビールがあったので、それにした。
父が昔住んでいた街には、街の住人が映画館通りと勝手に呼ぶ、映画館が集中して軒を連ねるエリアがあり、学生の頃はよく朝から晩まで映画館に入り浸っていたと話し始めた。
その影響か、大学時代にはレンタルビデオ店でバイトをし、DVDを片っ端から借りて見続けた。お気に入りの作品で、付き合いたての男女が夏祭りの帰りに自転車で二人乗りしながら、坂を下から上まで登るシーンがあった。必死に立ち漕ぎをする男は息も切れ切れで、額には大粒の汗が光っていた。だらだらと伸びるその坂道は、小学校の頃に親の仕事の都合で住んだ函館の坂に似ている気がした。
帰路の途中で、ふと思い出したかのように、札幌の大学に通っている弟へ函館にはよく遊びに行くのか聞いてみた。返信が返って来たかと思って携帯を開くと、父から駅から撮影したであろう繁華街のネオンの写真が送られてきていた。