鼎談その2 文章という新たな回路を得て、集団の想像力はどこに向かうのか

鼎談その2 文章という新たな回路を得て、集団の想像力はどこに向かうのか

ゲストアーティスト:柴崎友香
ディレクター:藤原徹平、平倉圭

2021年度の「都市と芸術の応答体(RAU)」の全プログラムが終了した。

前半は初年度に引き続き、ゲストアーティストに映画監督の三宅唱氏を迎えて「土地と身体」をテーマに映像を介しての表現思考を探求。

そして9月以降、ゲストアーティストに作家の柴崎友香氏を迎え、テキストという新たな表現手法を用いたことで、その探究は次の段階に入った。柴崎氏、藤原・平倉のディレクター陣とともに改めてその流れを振り返り、2022年度に向けての見通しを訊く。

 

(前半の振り返りはこちらを参照のこと)

進行・構成:安東嵩史 写真:森本絢

「私」と土地の関係を考えたくなった

──今年のRAUが昨年と最も大きく変わった点があるとすれば、これまで三宅唱さんとともに映像を介して行ってきた思考の具体化が、後半において柴崎さんがワークショップを担当されるようになったことで「テキスト」というファクターを加えて行われるようになったことだと思います。柴崎さんがRAUに参加された流れをお聞かせ願えますか?

藤原 一年目の最後に、まとめのイベントとして、RAUフェスというワークショップを開催しました。その際に、柴崎さんにゲストに来て頂き、柴崎さんのフェスでのコメントがいちいち素晴らしくて、これは是非ゲストアーティストをお願いしたいと思いつきました。

平倉 去年は表現形態を映像に絞っていたんですけど、言葉で書くとか、あるいは写真から言葉にするとか、そういうことが次のステップかなという話があって。それがあって、二年目のワークショップの講師をRAUフェスの後に柴崎さんにご相談したと思います。

藤原 一年目は「土木と詩」というテーマで映像を作っていったので、作られた映像には当然ながら人間の姿があまりなかったわけです。しかし、柴崎さんがRAUフェスのレクチャーの中でパノラマ写真に触れて「さまざまな思いを持った複数の人がその場にいて、重なっている」とおっしゃっていたのが面白かった。こういう人間の写り方があるんだなと。

別の文脈として、一年目、田坂博子さん(*1)にレクチャーしてもらったときのことがずっと気になってまして、、シャンタル・アケルマン(*2)は自らのアイデンティティをずっと考えながら映像を撮っていたんだという話があったんですが、柴崎さんの話を聞きながらそれを思い出して「ある場所に目をやるとかフォーカスするということ自体が、そもそも自分の思いがあっての行為であり、アイデンティティの無意識の表われなんじゃないか」と思ったんです。そういう、思いを持った「私」というものを念頭に、「私」と土地の関係を考えるのは良さそうだなと。

(*1)
『恵比寿映像祭』キュレーター、東京都写真美術館学芸員。美術館勤務を経て、(株)プロセスアートにて霧の彫刻家・中谷芙二子の作品制作のマネジメントに携わる。同時に芸術と科学、1960~70年代のパフォーマンス、ヴィデオアートを再検証する企画制作に従事。第2回『恵比寿映像祭』プログラムコーディネーターを経て現職。

(*2)
1950〜2015。ベルギー生まれ。1968年に短編監督としてデビュー、1975年公開の『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』は「映画史上最も女性的な傑作」と絶賛される。フィクション、ドキュメンタリー、実験映画といった領域を横断しながら、一貫して女性としての生、女性としての精神を描き続けた。

──柴崎さんは、その依頼を受けてどう思われましたか?

柴崎 興味はありましたが、自分がそこで何ができるかはわからなかったので、どうしようかなという感じだったんですけど……。ただ、自分の小説でも土地と人、土地と時間といったものを切り離せないものとして描いていますし、先ほどお話に出たパノラマ写真も、出力方法が違うだけで興味としては同じなので、そういうところから話していければいいかなと思いました。

──パノラマ写真への興味について、少し具体的にお聞かせいただけますか。

柴崎 以前、たまたま買ったデジタルカメラにパノラマ撮影機能がありまして。この機能はカメラを動かしながら撮影して高速連写した複数の画像を合成処理してパノラマにするものなので、本当は立体的なものをひとつの平面に収めることで、ちょっとゆがんだりとか重なったりとか、不思議な部分ができるんです。偶然の要素も大きくて、撮ってる間に予想もしなかったものが画角に入り込んでくることもある。そこにいる人間の要素と、その空間ならではの要素が写る可能性があるんです。

それを見た時に、実生活の中で「ある場所に複数の人がいる」という感覚と近いものがあるんじゃないかと思いました。ひとつの場所に、バラバラに人がいる感覚というか。それぞれ別のことを考えていて、お互い同じ場所にいるんだけど他の人のことは認識していない。でも、確かに同じ場所にいる。そういうことが、パノラマ写真のデジタルの不思議な形態によって見える感じが、おもしろくて。それを撮る中で感じた、その場所に流れる時間のおもしろさとか、ひとつの坂だったり道だったりする場所をいろいろな人が歩いたり通り過ぎたりすることで生まれてくる何かを、どう小説に書くか……ということをずっとやってきたので、そういう思考がRAUにはぴったりなのではという予感はしました。

──実際にワークショップを担当されてみて、いかがでしたか?

柴崎 昨年のRAUフェスには急に参加することになったので、映像や実際に街を歩いたりするのを体験しながら「興味深い試みだな」と思っていました。でも、そのよくわからない……一言でこれと説明できない感じは、今年ご一緒してもずっとでしたね(笑)。毎回手探りで、「前の回のワークショップを踏まえて、(受講生から)こういう応答が出てくるのか」というのを見て、その場で考えながら進めていました。

藤原 やっている僕たちからしても、RAUは作品を作っている集団なのか、それともみんなで学んでいるのか、何を目的にしている集団なのかわからないまま手探りしています。色々作ってもいるけれど、RAUを表す言葉として「ラーニングコレクティブ」という言葉が今はしっくりきています。学びの共同体。

平倉 柴崎さんの小説や三宅さんの映画を手がかりとしながら、RAUの根っこになっていったのは「ある土地があり、その上に人がいる、ということから立ち上がる表現」というアイディア。今年度のRAUは、そこを大きな手がかりにして、各自が考えていくということだったと思っています。

参加者は学生もいれば、自分の現場を持って活動しているアーティストなどさまざまでしたが、それぞれが「土地から生まれる表現とは何か?」という共通の問いを探っていました。各自の探求をみんなが持ち寄り、共同で深めていく学びの場所として、すごくいいなと感じたんです。「ラーニングコレクティブ」という言葉はそのあり方を指していると思います。

時間の蓄積への視線がもたらした「飛躍」

──そうした態度の深化を感じつつ、これまで映像をメインにやってきたRAUの流れの中で、方法論としての文章というものをどう位置づけていったのでしょう?

藤原 まず、昨年読んですごいと思った柴崎さんの『百年と一日』(*3)に触発されているところが、僕の中で大きいです。まだ何がすごいのかを十分に僕は言語化できないんですけど、僕が建築をやっている理由や、RAUを立ち上げた理由みたいなものが書かれている気すらします。

柴崎 それはすごく気になります。

藤原 大変不思議な小説で、ものすごく長い時間の話と一瞬の交錯や邂逅が描かれていて、未来の小説のようにも感じますし、人間が生きるということにおける時間との応答というか交換というか、大事なことが描かれているように感じています。絵画は絵画、写真は写真、映画は映画、建築は建築とそれぞれのメディアの方法で、人間と世界の関係性を描くと思うんですけど、共通して時間をどう描くかという問題があるように感じています。僕は芸術だけじゃなく、数学とか物理学も根本的には同じ感覚で動いていると思うんですよ。「自分の存在する以前から動いている秩序がある」という興味が、数学や物理、芸術にはある。柴崎さんはそういう文学に向かおうとしているんだなあと思いました。

田村友一郎さん(*4)と話したときに、「『土木と詩』を撮った映像に飛躍がない」というリアクションがあって。それで、飛躍ってなんだろうと思ってたんです。もちろんリサーチをきっかけに内容がレベルアップするということはあると思うけど、そういうのとは少し違うなと。そう考える中で『百年と一日』を読んで、「あらゆる場所に、実は今見えているもの以外に、時間や思考の蓄積がある。それに気づくことでも飛躍はできるんじゃないか」と思い至ったんです。柴崎さんの作品に存在している100年後や100年前への意識をRAUに与えられると、すごく大きな展開になると思いました。実際、柴崎さんとワークシップをすることで、みんなの作るものがすごく変わっていきました。「文学って、ものすごく自由で、すごい展開を可能にするんだな」と、改めてびっくりしました。

平倉さんも文学の自由、文の自由さに恐れおののいてましたよね。

平倉 柴崎さんのワークショップには私も課題をする側で参加してたんです。そこで、普段自分が文章を書くという行為とはまったく違う体験があったんですよね。普段書いているのは批評とか論文とか、形式がある程度定まっていて、論拠が文の外側にある文章なので。そうじゃない文章、書けば書いたことがそのまま現実化してしまうという文章の自由に、心底おののきました。

それを経て今日、久しぶりに『百年と一日』を読んでみたら、最初読んだときとは全然違うふうに感じるんですよね。ある空間とか場所を形づくるもの……それは建物だけでも地形だけでもないし、気温でもないし、すれ違う人だけでもないんだけど、そのすべてでもあって、それが長い時間の中で持続しているという感触がある。その複雑な全体が、紙の上の文章という「これ」だけによって立ち上がっている。ドキドキして、思わずページを閉じてしまいました(笑)。

(*3)
2020年に筑摩書房より刊行された短篇集。各短篇には「大根の穫れない町で暮らす大根が好きなわたしは大根の栽培を試み、近所の人たちに大根料理をふるまうようになって、大根の物語を考えた」「国際空港には出発を待つ女学生たちがいて、子供を連れた夫婦がいて、父親に見送られる娘がいて、国際空港になる前にもそこから飛行機で飛び立った男がいた」といった、時間の流れと物語の輪郭を概観するようなタイトルがついている。全33篇。

(*4)
美術家。映像や美術といった旧来の領域にとらわれない独自の省察の形式を用いたインスタレーションやパフォーマンスを通して、単に一方通行の作品と鑑賞者の関係でなく、観客とのあいだに従来とは異なるコミュニケーションを導く。近年の主な個展に「Milky Mountain / 裏返りの山」(Govett-Brewster Art Gallery、ニュージーランド、2019)、「叫び声 / Hell Scream」(京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA、京都、2018)、「G」(Yuka Tsuruno Gallery、東京、2018)など。

──短いスパンで風景が変わっていく都市空間は、長い時間軸を意識しづらい場所だと思います。我々の生活様式も、すでにそのスピード感に適応してしまっている部分もある。その中で、そうした時間軸への思考を、みんなが最初からインプットできたわけでもないのではないかと思いますが、どのように飛躍が起こっていったのでしょう?

藤原 柴崎さんのワークショップの第三回(*5)で、他の人の撮った写真を使って言葉を書くということを始めてから、飛躍が始まったと僕は思っています。自分が見たことがある場所について書いてしまうと、事実や時制にとらわれてしまう。でも、自分が経験していない風景についてのテキストを書こうとすると、それは寓話にもフィクションにもなるし、時間からも解き放たれたものになる。言葉が本来持っている自由な力、言葉が持つ魔法が動き始める感じはしましたね。「書いてしまったらそうにしかならない」というか、「そういうふうに書いてあったらその風景が立ち上がってしまう」という、魔術的な力が。

平倉 あの第三回目のお題は、どういう意図があったんですか?

柴崎 明確な意図は、課題を出した時点ではそこまで言語化できていませんでした。「次の課題、どうしようかな」って感じで話してる中でなにか別の新しい要素を入れたいと思ったんですね。二回目のときは写真一枚と文章という組み合わせだったので、まずは複数にしてみようと。大学時代は写真部だったんですが、写真展のときはいつも「組写真」といって三枚組の写真を出すことになっていたんです。なぜ三枚組かというと、展示したとき、写真と写真の間に関係性や距離が発生するんですよね。その隙間にあるものを想像したり、写真と写真の関連を考える。何かストーリーのようなものが隙間から発生すると言ってもいいのかもしれません。それを思い出したので、じゃあそこに他人の写真が混ざっていて、さらにテキストがあると、おもしろいかなと。見た人がそれぞれの距離から何かを想像する余地が、さらに広がるんじゃないかなという気がしました。

(*5)
柴崎氏のワークショップは以下の3回に分けて行われた。

WS第一回
柴崎さんの著書『百年と一日』を読み、①お気に入りの部分をピックアップして②その理由を書いてください。③また、その箇所を読んで思い浮かんだ情景があれば、テキストにしてください。

WS第二回
ある場所の写真と、そこがどういう場所か(地理的な説明でもいいし、ストーリーがあるものでもいい。その土地にまつわる、ということで、直接的でなくてもいい)、その場所の写真1枚と400~800字テキストで表してください。

WS第三回
自分の写真2枚と、画像の井戸から拾った写真1枚をもとに文章を書いてください(写真は場所を写したもの)。タイトルをつけ、400-800字とする。

──よく「行間」と言われますが、そこに明示されていなかったり、理路がリニアにつながらないものへも意識の回路が生まれる可能性を設定されたということでしょうか。

柴崎 そうですね。それが飛躍みたいなものにつながるのかもしれないです。

藤原 なるほど、だから「他の人の撮った写真」であることが大事だったわけですね。

柴崎 小説の文章が、なぜ飛躍できるのか。たぶん、それはそこに「他者を想像すること」が入ってくるからなのだと思います。

私は、大学のときに人文地理学を専攻していたんです。さっき藤原さんが「自分の存在する以前から動いている秩序がある」とおっしゃいましたが、大阪の都市地理についての授業に出たときに、その感覚があったことを鮮明に覚えています。今の大阪の大動脈である地下鉄御堂筋線は、1933年に開通したときにはまだ電車が一両しかなかったのに、先々使えるように十両ぶんの長さのホームを作ったのだと聞いて「そんな先のことを考えて昔の人が作った街で、今、私が生活している。昔の人が考えた未来が、今の自分なんだ」と思って、すごく感動したんです。百年前を考えることは、百年後を考えることと同じなんだなって。

また、大阪に四ツ橋という交差点があって、今は周辺も埋め立てられて道路になっているんですが、昔の地図を見たら、そこは長堀と西横堀が交差していて橋が四本かかっていたんです。それを見たときも「ああ、ここに四本の橋がかかってたから四ツ橋なんだ」と思って、その瞬間に道路と車が堀と舟に、自分が歩いている横断歩道と百年前に橋を渡ってる人に重なって見えたんですね。この、百年前の人と一緒に歩いている感じを小説に書きたい。どうやったら書けるのか……という思考が生まれたんです。卒論は昔の大阪の写真をもとに都市のイメージの変遷を書くというもので、調査の過程もとても勉強になりましたし、その重要性も実感して、人文地理学のほうに進むことも考えたんですが、当然のことですが研究は一つひとつの事実をきっちり積み上げないといけない。そこが、小説だったら全然違う飛び方をすることができると思ったんです。まさに飛躍ですね。

過去や別の場所に行ったり、そこにいた人と直接話すことや会うことはできなくても、「昔これを作った人、ここで生活していた人がいた」と感じることで、都市や場所が急に立体的に感じられるようになる。小説も「誰かに聞いた話」が出発点になっていることが重要で、ある人間の存在が文章に入ってくることで飛躍が生まれる。人間の身体のイメージが差し込まれることによって、その人を想像し、存在させることができる。小説は伝聞が出発点だと思うんです。他者の話を受け取って、別の誰かに受け渡すということが、物語とか小説の根本にあるもの……小説を書き始めて10年以上たった頃から、大事なのはそこなんじゃないかという気持ちが強くなりました。他者の存在と想像が、ジャンプする、飛躍できる理由なんだなと。今の藤原さんの話に、全部つながってる感じがします。

だから、RAUでも他の人の撮った写真を作品に取り入れたときに、おもしろかったんですよね。

平倉 その、他人の写真を自分の文章に入れたときの驚き。自分が経験してきたパースペクティブというか、自分の身体を中心として蓄積してきたものの見方から、文章がいちど離れるんですよね。そこに自由がある。

もう一つ、他人が撮影した都市を通して、自分一人の視点からは見えなかった土地の広がりや持続が現れてくるとも思いました。私が見ていない土地、見ていない曲がり角の向こう側を感知する。そこには時間的な広がりもあります。柴崎さんのワークショップの後、今年度のRAUの最後に「坂の物語」と題して「坂」をテーマとした物語を文章か映像で作るという試みをやったんですけど、去年と大きく違うのは、歴史を扱った人が多かったことです。例えば潮見坂という、霞が関を通って海の方へ降りていく坂を扱った作品(*6)を見ていると、今も昔も「坂はそこにある」ことがわかる。周囲の建物は変わっていくけど、坂は持続していて、その坂を歩いた過去の人と重なるように、今自分はそこを歩いて撮影している……という視点で語りが生まれる。持続している地形の上に、違う時間を生きた人を同時に想像するというのが、今年のRAUで生まれた思考の一つかなと思います。

安心して問いを深められる場を担保したい

──そうした思考を持ち寄る場として、去年は「RAUフェス」がありましたが、今年は「RAU試」になりました。語感としても、去年と比べて、外に向かって「開く」というより「深める」という方向に行った印象があるのですが、その「RAUの開かれ具合」への感覚を聞きたいです。

平倉 夏の「RAU試」は完全にクローズドにしました。冬は公開したけど、基本的に普段のワークショップをそのまま外にも配信するだけで、初めて見る人に対して何かを用意したわけではないので、態度としてはセミクローズドな感じでした。

藤原 こうなったのは、RAUという取り組みをなんのためにやっているのか、ということを考えた結果でもあります。

まず、年度という単位で日本の社会が動いている。その区切りで予算があるから、「まとめを発表してほしい」という社会的な圧がある。それっておもしろいことなのかな?とは、最初から思っていました。RAUでも1年目の最後に何かをやる必要があって、最初は展覧会をやろうとしていたのを、むしろ柴崎さんや三宅さんと一緒に横浜の街を案内して歩くようなゆるい企画を考えて、そこに一日で映像を編集していくパフォーマンスを加えて、それを「フェス」と呼んでみたんですけど、ちょっと違うなって感じがした。お祭りじゃないかな、と。

それを経たニ年目は、夏にたまたま「三宅さんのワークショップをもう少し深める場を作ろう」という話になって。それを試す場所だから……ということで、「RAU試」をやってみようとなったんです。発表の場ではなく、問題をさらに開いたり、掘ったりする場所としてワークショップをやったら、これがおもしろくて。試したり考えたりできる場所が、今の社会では圧倒的に不足している気がする。だったら、年度まとめの展覧会なんてやめて、もう一回試せばいいんじゃないかと思ったんです。試す場を開いて、「試し続ける」ことに興味をもった人がまた翌年に参加してくれれば、十分かなと。そこで、冬にも再び「RAU試」を行いました。初めて見た人がどう思ったかわからないですけど、私としてはすごくおもしろかったです。

平倉 この場でやりたいのは、仕事をまとめるんじゃなくて、共通の問いをとにかく深めること。成果が求められる仕事では試さないようなことを試せる、しかも共同で試せる場があるというのが、すごくいいんです。「RAU試」という言い方をしたことによって、外に向けた作品をきちっと作り込むというより、まずは自分たちにとっても十分に把握できていない問いを深めていくことが重要なんだという共通認識が生まれていた。

藤原 来年以降、そういう区切り的なことをやるとなっても、「RAU試をたくさんやる」って話になるんじゃないかなと思いますね。

僕は芸術祭をディレクションしたり関わることも多いですが、芸術祭というのは、絶対失敗できないんですよ。例えば都市空間でやるものは、運営上失敗すると本当に各方面に迷惑がかかります。イリーガルやグレーに場所を使うこともできない。やったら社会問題になるから。作品もいろんなリアクションが想定されるから、確実にいいものじゃないとすごい批判を浴びる。美術館に置くとなると、今度はパーマネントなものが求められる。本来、芸術祭というのはもう少しその場所性に付随していろいろな形のアートを実験するために生まれたはずなのに、いつのまにか運営者もキュレーターも確実なものを志向するようになってしまっていて、非常に僕としてはストレスフルなんです。自由じゃないし、ものを作る上で安全じゃないなと。アーティストをリスクに晒しているし、常に誰かの視線に晒されている感じになっている。それをどうやって計画として守るかという、キュレーションの技術はもちろん必要です。でも、少なくともRAUで求めていることはそういうことではない。できる限り安全な場所で、みんなが問いを深めていくということをやっていきたいですね。

言葉や風景の「変化」と「源」に向き合う

──場としてのRAUの倫理、ですね。土地なり他者というものを介して何かを作っていくとなったときに考えないといけないことはあらゆるレベルで発生しますし、そこで異なる価値観の境目に生まれる議論や問いとどう向き合うかというところに、その人や取り組みの倫理的な態度が表れるような気がします。

藤原 現代社会では言及されないんだけど、土地と人間の倫理というものが本来ある。それは、かつて生きていた人やかつて存在していたものに対して謙虚に生きるということだと思うんですけど、それは現代において忘れ去られていて、今「倫理」というと、他者に対して批判的に展開されるものになりがちです。でも、そもそも自分が倫理的にあり得ているかと言うと、多くの人はそうではない。だから、他のあり方を批判するということではなく、まず探究的に、土地とか歴史のことを考えたほうが生産的なんじゃないかなと思います。そういう意味での土地の倫理の問題は来年以降も考えたい。

──倫理というと、一般的には「道徳」と混同されて、物事を教条主義的に狭めるもののような捉え方をされますものね。「エチカ」(*7)というものは、本来はもっと自由を問題にするもののはずですが。

藤原 そうですね、道徳と倫理は違う。倫理という言葉の定義を、柴崎さんにまた教えてもらわないと(笑)。

言葉の用いられ方というのは常に変わっていくものです。先日たまたま移動中にNETFLIXで『博士と狂人』という、オックスフォード大辞典を作った人の映画を見たんです。この辞典の編纂には七十年かかったらしいんですけど、それは言葉の用法がどういうふうに変化していったか、つぶさに調査していたら七十年かかっちゃったということなんですね。言葉に向き合っていくというのは、本来それくらいの力を要するのかもしれない。RAUでは、例えば坂とか土地とか、一つひとつの言葉に丁寧に向き合ってて、それがすごくいいなと思っています。

柴崎 「坂」って言葉を辞書でひいて、「辞書、すごい!」ってなりましたよね。「一方が高く、一方が低く傾斜して勾配のある道」(大辞林)には感動しました。「一方が高く、一方が低く」と説明するのか、と。RAU試のあとの振り返りででてきた 、坂というのは人がいないとただの斜面で、人が通って初めて坂と定義される、というのも、実際の土地の形状と人の関わりが言葉に表されていて、興味深かったです。

藤原 白川静さんの辞典(*8)にはなんて書いてるのかなと思って見たら、土へんに「つかむ」っていう……「反」という字には「つかむ」という意味もあるらしいんですね。要するに「土を掴むのが坂だ」と。

柴崎 それ、かなり急な坂ですよね(笑)。もはや崖?

藤原 もともとはそれが語源なのだというふうに書いてて。「なるほど」と思いました。人間が土地の流れに抵抗してどうにか頑張るという意味では、感慨深い定義です。坂というものがおもしろい理由がわかる。人間的な存在なんだって。坂というコンセプトそのものが、人間によってもたらされたものなんだと。

平倉 そこに人間がいて、初めて坂と呼ばれるんですね。斜面に人が立つことで坂となって、坂の上、坂の下との関係が生まれ、その経験が時間的に重なることで「坂の物語」になる。

(*7)
エチカ(倫理学)は一般的には規範の根拠について考える学問とされ、ある物事が「悪い」と言われる場合、「どうしてそれが悪いのか」を考えるというところに発生する思考。善悪、自由、真偽といった尺度について、「そう考える『私』のありか」を問題にするという態度が求められる。

(*8)
白川静『常用字解』第二版 平凡社、2012年

「物語」はどのように定義可能か

平倉 「RAU試」から少し時間が経ってますけど、参加者が作ったもので印象的なものはありますか?

柴崎 難しい質問ですね……毎回発見がありましたし。この前の「RAU試」だと、あの杖の話(*9)は、現在の坂の映像に過去のできごとがテキストが字幕で入ってて、こういう表現もあるのかと。坂全体じゃなくて、そこを歩く足元だけ映ってて、字幕の書体の感じもよく出てる。

平倉 歩行のリズムと字幕の出るリズムが関連しているのがおもしろい。字幕っていうのも、一つの特殊な文字表現ですよね。

柴崎 映像、写真、テキスト、どういう組み合わせにするかを考えた結果、字幕になったっていうのは興味深いですよね。文節の切り方にも、それぞれの思考は表れるものだし。一度に出る文字量とか、出るタイミングもそうですね。

藤原 確かに、おもしろい文化ですね。

柴崎 アメリカだと字幕は人気がないらしくて、外国語の映画の上映はほとんど吹替らしいんです 。理由はいろいろあると思いますが 、英語だと文字数が多くなるのもあるんじゃないでしょうか。日本語だと漢字があるので、圧縮できるんですよね。

 

平倉 歩いてる人の語りが、音声じゃなくて字幕なのもいい。ナレーションもなくて、音声は杖の音だけ。サスペンス映画のようでもある。

藤原 実は、偶然ですがこの作品も、先ほど話に出た潮見坂が舞台なんです。同じ潮見坂にふたつの物語があるのも、すごくおもしろい。

──そういえば、「RAU試」二日目の最後のほうで、平倉さんが「物語」を偶然性と交えてチャットで定義されていましたよね。

平倉 「物語とは、一連の偶然を因果に変える場である」ですね。仮に定義してみました。「因果」という言葉は、柴崎さんのワークショップで事前に指定された夏目漱石の『草枕』(*10)の最後のページにでてくる言葉です。実は私は『草枕』を今回初めて読みまして。内容も何も知らずに読んだんですが、ものすごくおもしろくて。浮世離れした画家の話と思ってふわふわ読んでいると、偶然出会った人間同士がだんだん絡まりあっていくそのあいだから、不意に巨大な歴史的・政治的・経済的な力が現れ、絡まりあった人々が再び引き離されていく、そのときに、「因果はもう切れかかっている」と書かれる。そうして物語は途切れる。因果の切れ目が物語の切れ目なんです。

土地と人の関係というのも因果の一つの形ですよね。一つの場所に蓄積した偶然が、そこに暮らす人たちを巻き込みながら因果に変わっていく。普段はっきりと意識していないけど、私たちは土地の因果に属し、生活を通して土地の物語を更新し続けている。本に書かれた物語を読むことで、自分自身が生きている土地の因果を意識するということもありますし、そのことによって、因果を解けるようにもなる気がする。そういう、土地と物語の関係を考えていました。

藤原 物語の定義はとても難しくて、去年から試みつつ、ずっとできずにいたんです。

自分と遠くにいる存在とのつながりをどうやって考えるかみたいなことを、RAUでは試みてきたと思っています。他者であるとか、人間とは関係ない土地の成り立ちであるとか、地盤とか地球の成り立ちとか。そういうことを横断して思考することが、物語と関係する気がする。

例えば宮沢賢治が世界の秩序、つまり因果を考えるときに、銀河という、物理学によって理解されつつあった宇宙の構造を思い浮かべたわけですよね。その銀河と、岩手県の花巻の、今自分がいる風景が重ねられる。遠いようで、自分の中で統合しているんですよ。リアルな身体を持った人間が、なにか自分の目の前にないものの秩序を想像しているということ自体が物語……つまり、「人が今、考えている」という状態こそが物語の原型なんだと思います。風景を想像している体そのものが、物語を生んでいる。人間そのものが物語と言ってもいい。

「建築に物語性を感じる」と誰かが言ったとして、物語が発生しているのは、空間ではなくてその人間の脳内なんです。もしくは、それを伝えた相手に現実の空間以外のことを想起させることで物語が生まれているのかもしれない。

一年目のRAUでは「詩」の定義にたどり着きました。それは心物の傾きをしっかり見ることが必要だ、というもので、今でもすごく重要だと思っています。その上で今年は、その傾きを体が読むことによって、心象と現実との間で「物語」が立ち上がるのかなと思います。

(*10)
夏目漱石が1906年に発表した小説。「山路を登りながら、こう考えた。」の冒頭から「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」と、身体的な動作と思索が流れるように交差する書き出しが有名である。

──柴崎さんも、レクチャーの中で「人間の身体を通して世界を理解するのが小説である」とおっしゃっていました。

柴崎 そこに書かれた人の人生を、読んでいる間は体感できる。身体を持つ人間を通して、世界をあるやり方で理解したり、感じることができる。それが小説なのかなと思っています。たいていの小説は人間が出てきますよね。そこに登場する誰かの話を聞くことによって、それを読んでいる間はその語りを通して外の世界を一緒に感じることができると思っているんです。

平倉 言葉はすごい、というのが今回本当に思ったことです。言葉は外の世界のことも書けるし、心の中で思ってることも書ける、なによりその両方を連続的に行き来できる。自分の頭の中にあることと外の世界にあることは、言葉を通してつながっているのだ、というのが今回出会った衝撃的な感覚で、まだその意味するところを自分では十分に深められていない。入り口にいる、という感じがしています。

記録の仕方を実験してみたい

──入り口ということは、来年度以降に積み残した思考があるということでもあるのでしょうか。例えば、一度言葉が身体を通る、つまり「書く」とか「読む」という行為と、思考を記録する媒体としてのテキストや文章そのものの関係させ方というのは、今年度はまだ議論に至っていないようにも感じました。

藤原 そのへんはまだ考えられてないです。すごくいいテキストが生まれて、それを皆で一緒に見て朗読したときに立ち上がってきた「いいな」という感覚を形にまとめたいなと思ったものの、どういうふうにまとめたらいいのか、正直まだわかってないんですよね。でも、記録の仕方という形でこの先、実験したいとは思ってて。

個人的には、本にするのが一番いいのではないかと思ってはいるんです。例えば『百年と一日』を読んだ感覚は自分の中に保存されているものですが、本を開くと、それがまた立ち上がってくる。この「本」という形には、秘密があると思ってる。サイズ的なこともあるのかもしれません。人によっては大きすぎると自分の身体的にわからないという人もいると思うし、ある程度の人が手にとってそれを読むなり見るなりしたときに、立ち上がってくる身体性があるようにはしたいですね。

柴崎 『百年と一日』も、「ああ、こういう本なのか」と思ったのは、一冊の状態になってからです。連載の時は1話1話試みながら書いていって、毎回できたことを積み重ねる感覚だったので、本にまとめるにあたって各話の順番や構成を決めて、あの1話ごとの長いタイトルを決めたときに、全体として自分が何を書いてきたのかはっきりわかって、さらにそれを伝えられるように装幀や本としてのタイトルもできていったんです。文章を書くときはパソコンで書いていますが、横書きのテキストのみだととまって全体を見渡すのが難しいし、読むときは縦書きなのでそれに合わせたほうがイメージしやすいので縦書きで書いています。本にする過程でデザイナーさんによって文字組みがされたゲラを見たり、さらに製本されて実際に出来上がってきたものを見たり、書く段階で全部違う印象がありますね。そう考えると、やっぱり本という形式は意味があるんだろうなと思います。長く続いている形式でもあるし、何かを喚起する力があるんだろうなと。

 

藤原 これまで三宅さんとやってきたことが、二年目にして柴崎さんの視点が加わったことでものすごく飛躍をしましたし、僕はRAUのこの先にすごく希望を持っています。一応三年間のプロジェクトということでやってるんで、まずはこの二年を実感できる本をつくってみたい。

来年度のテーマは「ロードムービー」?

平倉 来年のテーマ、どうしましょうかね。

藤原 何か決まってましたっけ?

平倉 決まってないです。一年目がオンラインのみ、二年目は少しオンサイトでの活動もできるようになったということもあり、三年目はもう少し実践的に都市に出て活動してみたい……というような話はありましたけど。

藤原 まあ、それはおそらく最後のタイミングになるだろうから、そこまでにどういうテーマ、どういう課題をもってそこまで持っていくか、ということですよね。

それで言うと、「私たち」とは何か、という話もあったと思います。「私たち」という問題は立ち上がってくるかも。

平倉 さっき話に出てきたような、他者や、過去にいた人たちも含めての「私たち」。

藤原 「私たち」=「私と他者」。そういう思考の展開の仕方はあるかもな。

あとは、言葉のすごさを引続き探求したいけど、考えれば考えるほど自由だから、こういうことを一生やるんだなという気がしてます。生涯やっていく営みだし、自分が見た風景とか、他者が見た風景を言葉にするのは重要なことだなと思います。スケッチをするように言葉を使うということを、来年もやりたい。

今年度、柴崎さんが「すごい」とおっしゃるので『草枕』を読んでみたら、本当にすごかったんですよね。心の中の風景と実際に見えてる風景を行き来しながら、すべてが非常に高い解像度で書かれている。こんなに丁寧に書いてるってことは実際に見た風景なのかなと思いつつも、心象を描いたであろう部分も、すごく丁寧なので、わからなくなってくる。どうし、これほどすべてが実際存在するものの連なりのように書けるのか。驚くべきことだと思いました。

柴崎 『草枕』の主人公は画家で、俳句もやったりする人ですから、見えている風景を常に絵とか俳句にして表現することを試みている。まず、その描写があることが解像度の高さにつながっていると思うんです。同時に、主人公が頭の中で考えている芸術論や世の中や人間について考えていることが語られているんですが、風景とそれらと話の筋や人物の会話が同じレベルで語られていることに、最初に読んだときから今まで一貫して感動します。背景や舞台としてではなく、風景が人間の心情の代替になったりもせず、すべてが同じレベルで関係し合っている。さらに、劇中で見た絵のことを書いている場面もけっこうあるんですよね。宿の壁にかけてある絵とか、いろいろな絵が出てくる。そうした絵についても、それが存在している風景から、絵の中に描き込まれた風景まで的確に描写している。他に類を見ない描写力だと思います。

藤原 漢詩的というか。漢文がそもそも漢字という、イメージを文字化したものの連なりだから。

柴崎 漢詩って風景の描写が多いから、そういうのもあるのかもしれませんね。漢詩の素養も強いし、英語も入ってくるし。

藤原 すごく音楽的だし、絵画的。

平倉 主人公は画家なのに作中では絵を描かないんですよね。むしろ言葉で絵を書いている。言葉で絵を書いてたら転んでしまって、その動きがダンスになったり。

柴崎 そう、それなのかも!いろんな言語と芸術の表現の仕方がつながっている。それを小説の中で成功させているというのが、すごいと思います。『草枕』のおもしろさが、RAUではこんなに伝わって嬉しいです。いわゆる起承転結のある物語という感じではないので、何がそんなにおもしろいのか?というのを私もうまく説明できないところもあったんですが、RAUではそれが伝わってすごく嬉しい。

あと、漱石で好きなのは、『彼岸過迄』(*11)と、『坑夫』(*12)。『坑夫』はすごく変な小説なんですよ。恋愛沙汰か何かで逃げてきた若い男が、たまたま出会った男に「働くところがある」みたいなことを言われてついていく。道すがらいろんな個性的な人と出会って合流し、現場に着いてしばらくはそこで働いてる男たちと共同生活して、坑夫になる決意を固めていよいよ鉱山に入っていくんですけど……結末は読んでもらったほうがいいですね。やっと鉱山の中に入ったと思ったらあっさりおわってしまうのですが、山奥の方に入っていく際の風景の書き方とか、ロードムービーみたいな感じなんです。『彼岸過迄』は、短篇をいくつかまとめた形式なんですが、小説なのに最後に唐突にまとめが書かれてるし、ほころびがある作品。そういうほころびや隙間がある小説が私は好きで。

平倉 すごい!来年度、もう『坑夫』の気分になってきた(笑)。

柴崎 『坑夫』の当時、漱石は東大の教職を辞したあと朝日新聞に入って、自分でも作家として書く一方、確か文芸欄の編集長でもあったんです。つまり、執筆を依頼する側でもあったわけです。それで、本当は島崎藤村の連載が始まる予定だったのに原稿が間に合わなくて、急遽自分で書かないといけなくなったのが『坑夫』なんですね。無理して書いてたからか、きっちり考えたんじゃ出てこない勢いが出てきてる。しかも、以前漱石を訪ねてきた青年が小説にしてほしいと語った鉱山で働いた話が元になっていて、まさに、伝聞であり人の身体の経験が入っている小説ですよね。最後、いきなり終わっちゃうのも、たぶん藤村の原稿が書けてきたからじゃないかな。だからこその行き当たりばったり感によって生まれた小説的な語りがあると思っているので、ぜひ読んでください。坂とか斜面とかもたくさん出てきますし。

藤原 最後に宿題が課されましたね……「現代のロードムービーについて考える」とか、この二年の取り組みとつながりそう。

平倉 つながりそう。行き当たりばったり。よさそう。

柴崎 『彼岸過迄』にも、ある男を尾行してその行動を調べてほしいと言われて、神田辺りの市電を行ったり来たりする短編で始まります。

藤原 おもしろそう!それもロードムービーっぽいですね。

平倉 鼎談の最後にバタバタとテーマが決まっていくの、すごくRAUっぽい(笑)。

この通り、まだ来年度のことは自分たちも何もわかってないんですが、柴崎さんにはぜひ引き続き、何らかの形でRAUにおつきあい願えればと思っています。

柴崎 ありがとうございます。本当に楽しかったですし、この先、どんなところまでこの思考がたどり着いていくのか、楽しみにしています。

2022/3/7 フジワラテッペイアーキテクツラボにて収録

(*11)
漱石が1912年1月から4月まで朝日新聞に連載した小説。複数の短編小説を連ねて一つの長い物語を紡ぐという手法が取られている。1910年に一時は危篤に陥るほどの大病を経た漱石の人間観や時代観を反映してか、「自分は凡て文壇に濫用される空疎な流行語を藉(か)りて自分の作物の商標としたくない」といった、時流と向き合う創作論のような記述も見受けられる。

(*12)
漱石が1908年1月から4月まで朝日新聞に連載した小説。内容の詳細は本文に譲る。