RAU試 2021-2022「坂の物語」

RAU試 2021-2022「坂の物語」

概要

今回、秋の「RAU試」を引き継ぎ、2021年度の議論を追いながら2022年度の活動に向けた試作と議論をおこなう約2週間のワークショップ「RAU試 2021-2022」をメンバーと実施します。
そのうち、2月19日(土)、23日(水・祝)、27日(日)の3日間にわたってのミーティング(ワークショップ&ビューイング&レクチャー)を、オンラインで中継します。

今年一年間議論と創作を重ねてきた「土地と身体」「私はどこにいるのか?」「土地と身振り」の3つのテーマを振り返りながら、「坂の物語」について3日間で作品の試作と議論の仮構築をおこないます。
三宅唱(映画監督)も映画祭が開催されているベルリンの地から参加予定です。
ディレクターやゲストだけでなく、全員で試し、全員で考える、RAUというラーニングコレクティブ(学びの共同体)へのオンライン参加(配信視聴)の機会を設けました。奮ってご参加ください。

RAUの活動に関心を持たれている方、来年度以降参加を検討されている方には、時間と密度をかけて積みあげて来たRAUの議論を垣間見れるオンライン中継となります。単発でも視聴可能ですが、3回通しで視聴することをおすすめします。

2月10日(木)12:00 招待状(課題「坂の物語」)の公開

メンバーが取り組む課題をHPでRAU試への招待状として事前公開します。
招待状へ応答した提出作品を題材に、初回ミーティングが行われます。

招待状の3ページ目にはヒントとなる引用文が掲載されています。Webでは引用箇所のみ紹介いたします。

  • 柴崎友香「同じ街の違う夜」(『寝ても覚めても 増補新版』所収、河出文庫、2018年、315頁1-7行
  • 幸田文『崩れ』(1991年発表)、講談社文庫、1994年、46頁2-13行
  • 夏目漱石『草枕』(1906年発表)、新潮文庫、2005年、6頁12行-7頁8行

2月19日(土)ミーティング1:招待状への応答ビューイング&ディスカッション

18:30 開場
19:00-22:00 ビューイング&ディスカッション

ディレクター藤原徹平と平倉圭、ゲストアーティスト三宅唱と柴崎友香、参加メンバーによるビューイング&ディスカッションの開催。
招待状の課題へ応答した映像を見て、ディスカッションを行います。

2月23日(水・祝)ミーティング2:レクチャー&ディスカッション

作品制作のヒントとなる、「坂」についてのディレクター、ゲストアーティストからのレクチャーを行います。

18:30 開場
19:00-19:20 藤原徹平によるレクチャー
19:20-19:40 平倉圭によるレクチャー
19:40-20:00 三宅唱によるレクチャー
20:00-20:20 柴崎友香によるレクチャー
20:20-20:30 休憩
20:30-22:00 ディレクターとゲストアーティストによるディスカッション

2月27日(日)ミーティング3:再制作を受けてレビュー&ディスカッション

18:30 開場
19:00-22:00 ビューイング&ディスカッション

ディレクターとゲストアーティストと共に完成作品をビューイングし、レビューとディスカッションを行います。
来年度のRAUの活動テーマも合わせてディスカッションされます。

詳細

配信スケジュール

2022年2月19日(土)18:30開場 19:00開演 22:00終了
2022年2月23日(水・祝)18:30開場 19:00開演 22:00終了
2022年2月27日(日)18:30開場 19:00開演 22:00終了
※30分程度の延長あり

登壇者

RAUディレクター 藤原徹平 平倉圭
RAU2021年度ゲストアーティスト 三宅唱 柴崎友香
※全日程同じ登壇者です。

視聴費

無料

視聴申込

申込締切

ZOOMウェビナー参加 イベント日程30分前まで
本イベントは開催を終了しました。

配信について

ZOOMウェビナーによる配信。Peatixで予約後に配布されるURLで入室して頂きます。
本イベントは開催を終了しました。

アーカイブ

小野晃太郎『貫井』_220219

たぶん窪地に住んでいるのだと思う。

出かけるときは上り坂だし、帰り道はペダルを踏まなくても家までたどり着いてしまう。坂の手前の長い道の勾配は、自転車に乗ってはじめて知った。

近所には傾斜をそのまま残した公園があり、夏になるとダンボールを敷いて滑って遊ぶ親子の姿を見かける。

 

 

住宅地の細い坂道は、車一台が歩行者を避けてぎりぎり通れるほどの幅しかない。近くのスーパーに買い出しに行くとき、遊びながら下校する集団とすれ違うことがある。

以前、道の真ん中で子どもたちが輪になって天を仰いでいたことがあった。視線の先を追うと、電線にナップザックが引っかかっているのが見えた。

 

 

買い物を終えると、さっきとは別の細く急な坂を下りていく。

全力疾走の小学生に追い抜かされたり、カートを押しながら登ってくる人とすれ違いながら下ると、つきあたりには秋葉権現が祀られていて、その傍らにあるステンレス製の丁寧なキャプションには、先程買い物をしたスーパーの名前が添えられていた。

 

 

(小野 晃太朗)

元岡奈央『衣紋を抜く』_220219

映画館に着いたのは上映の5分前だった。着物でエスカレーターを2段飛ばして上がっていたから裾が広がっていた。待ち時間に隣の老人に話しかけられた。彼は日本舞踊をしていてそんな着方はおかしいという。襟が特に気に食わなかったらしい。みっともないと何回も言われた。私は少し直したけどいつも通りだった。2本目の前にも怒られた。私は直さなかった。
襟を拳一個分後ろにするのが今は一般的だ。これを衣紋を抜くという。衣紋を抜けば抜くほど涼しい。衣紋を抜くには長襦袢で肩の山を包み込む。肩にいかに沿わせるかだ。ただ襟をずらすのではなく長襦袢全体を肩に沿わして点ではなく面で体を包む。
坂が地球の自転の点の集合体であるように、衣紋も襟の一点ではなく上体の肩山から背中にかけて広く体と寄り添っている。衣紋を抜くことは坂に似ている。そしてそれは体の持ち主のコレオグラフィーに近い。勝手にずれる。

Yukihiro Arata『わたしはここにいる』_220219

「わたしはここにいる」を撮りながら考えていたこと

隅田川付近にもいろいろな「坂」がある。
川にかかる橋の「坂」、土手から川沿いの道に向かう「坂」、堤防に続く「坂」など。
これらの「坂」を実際に自分で歩いてみると、これまで意識してこなかったが、
「坂」の入口(または出口)の多くに「柵」が立っていることに気づいた。
そして、その「柵」が「坂」の存在をより強調させているように感じた。

※「坂」を撮影する際は、なるべく被写体(歩いている人物など)が写るように心掛けた

・ファーストカットは、墨田区最北端と荒川区を結ぶ水神大橋に向かう「坂」
手前から来た自転車をひく女性が、柵を越え一度自転車に乗ろうとするが結局歩いていく所に、
「坂」を感じた

・2カット目は、その坂を自分で歩いた足元のカット
(このカットで、「坂」を映像で写すのは難しい、と率直に思いました)

・4カット目、柵を強調したカット
坂の勾配がゆるいので、坂感があまり感じられなかったが、右の柵から勾配が感じられた

・7カット目、墨田区側の堤防に続く「坂」
登った先に新たな「坂」が現れるが、その入口にはやはり「柵」があった

・9カット目、川沿いの道に続く「坂」を走って下る男性の横打ちカット

・10カット目、その「坂」を自分で歩いてみたカット
カミソリ堤防の高さが感じられた

・ラストカット、このカットのみ夏の RAU 試で提出した過去の映像
「わたしはここにいる

駒ヶ嶺薫平『眼で物語る』_220219

改札を通過した瞬間、電車の扉が開いた音が微かにした。歩きながら視線を左右に滑らせる。目的のホームへの道筋が線になって現れる。線に沿って大股で歩くと、すれ違う人の数がどんどん増えていき、線がぼやけてくる。まだ間に合うかもしれないと小走りになり、ホームへのエスカレータを駆け上がる。しかし、そこにはいるはずだった電車はなく、反対側のホームに逆方向の電車が到着する直前だった。

9月になった最初の土曜日。
ファッションビルのショーケースには秋冬物の服が並んでいた。昔よく通った雑居ビルの1階にある古着屋を思い出した。服は買わずに音楽の話ばかりしていた。

出張に来ていた父から連絡があった。どうやら帰りの新幹線まで時間があるので、立ち飲み屋で飲んでいるらしい。朝から降っていた雨は霧雨になり、気になるほどではなくなった。ちょうど近くにいた長男は父の元に向かうことにした。

父にメッセージを打ちながら歩いていると、古い建物ばかりが立ち並ぶ路地に出た。たばこ屋、空き店舗、インドカレー屋、金物屋。昔は賑わった商店街だったのであろうか。メッセージを送信すると、すぐに視線を足下に移し、道を急いだ。水の流れる方向や水溜りの位置を頼りに、道の起伏を大雑把に把握する。可能な限り雨水が少ない箇所に右足を置く。視線は走り続け、次の瞬間には左足が在るべき場所に向かって動いている。そんな動作を繰り返していると、スニーカーの底が地面を擦り付ける感触に違和感を感じ始めた。意識を足底に移すと、今いる場所が微かな丘になっていることに、少し遅れて気がついた。高架線を走る電車が横を通り過ぎていった。電車に乗っている人と目が合った気がした。

最後にDVDを借りたのはいつであったか思い返しながら、TSUTAYA前を通り過ぎた。

父がいた店は狭い路地の奥にあり、最初は気づかず通り過ぎてしまった。よく見たら昔友人と行った立ち飲み屋が斜向かいにあった。父は以前もこの店に来たことがある。その日も今日と同じような雨降りで、普段よりか空いているだろうと予測して来たらしい。店の壁には60年代のウエスタン映画のポスターが飾られていた。メニューを開くと砂漠と同じ色をしたビールがあったので、それにした。

父が昔住んでいた街には、街の住人が映画館通りと勝手に呼ぶ、映画館が集中して軒を連ねるエリアがあり、学生の頃はよく朝から晩まで映画館に入り浸っていたと話し始めた。

その影響か、大学時代にはレンタルビデオ店でバイトをし、DVDを片っ端から借りて見続けた。お気に入りの作品で、付き合いたての男女が夏祭りの帰りに自転車で二人乗りしながら、坂を下から上まで登るシーンがあった。必死に立ち漕ぎをする男は息も切れ切れで、額には大粒の汗が光っていた。だらだらと伸びるその坂道は、小学校の頃に親の仕事の都合で住んだ函館の坂に似ている気がした。

帰路の途中で、ふと思い出したかのように、札幌の大学に通っている弟へ函館にはよく遊びに行くのか聞いてみた。返信が返って来たかと思って携帯を開くと、父から駅から撮影したであろう繁華街のネオンの写真が送られてきていた。

渡辺俊夫『坂と標識に振り付けられたギグワーカー』_220219

東京都江東区に住んでいる。⾃宅は都⼼のオフィス街や下町住宅密集地にも近く、Ubereats で稼げるんじゃないかと思った。⼤学院の予定や依頼された企画を抱えていて、定期シフトのアルバイトは気が進まなかったというのもある。何よりも、江東区は平坦だ。江⼾時代は海だった場所。埋め⽴てられた⼈⼝の⼟地。⾃転⾞での移動に向いている、そう思った。
実際、仕事をはじめてみると、この⼟地にも坂があることに気づいた。⽔路と⽔路の間にかかる橋。橋に差し掛かると少しだけ⾼くなる。急いでいるときはこんなにすこしの坂が煩わしい。ギリギリとギアが鳴る。⽴ち漕ぎ、からの、滑るような下り坂。そして、標識。振り付けられている、と思った。⼟地に、道路交通法に、ギグワークという労働システムに。

Yukihiro Arata『隅田川』_220227

前回のレクチャーを受けて、
永井荷風『日和下駄』の

「坂は即ち平地に生じた波瀾である。」

という一節が響いた。

僕が RAU を通して「隅田川」を撮影し続けてきたのも、
何の気なしに隅田川沿いを歩いていた際に、ふいに目にした「ブルーシート」が
僕にとってまさしく「平地に生じた波瀾」だったからだ、と思えたからだ。

RAU に参加する前も、隅田川沿いに「ブルーシート」があることは知ってはいたが、
RAU の課題映像を制作するにあたって、
「川からたった数メートルしか離れていない場所に人が居住している」という事実を
鮮明に意識するようになってしまった。

これはレクチャーで三宅さんが言っていた、ある種の「取り返しのつかなさ」のように感じる。

この『隅田川』という映像は、自分のこの経験を映像で表現できないか試したものです。
ファーストカットとラストカットは、同じ場所から撮った隅田川の俯瞰ショットですが、
その間にあるカットの積み重ねで、違った見え方にすることは可能なのか?

そして、もう一つ。
先日柴崎さんが言っていた、

さか【坂】一方は高く一方は低く、傾斜している道

という辞書による定義。

この定義からすると、「川」もある意味「坂」なのではないか?

こんなことを考えながら、自分なりに応答してみました

高橋まり『坂をつくるための練習』_220227

「坂をつくるための練習」 あとがき 髙橋まり

坂の定義「一方が高く、一方が低い」に加えて、「切り離された上と下をつなぎ、関係性を生み出すもの」と定義する。その関係性は重力及び重力を起因とした人間の身体やものの運動によってつくられていることが多い(坂道を発信する車や子供の身体、下水道etc.)

東京には、武蔵野台地と低地をつなぐたくさんの坂がある。海に向かう潮見坂は、陸と海を繋いでた。

20世紀の建築空間においては、スロープの発明は空間と空間を分断せずにゆるやかにつなげる画期的な発明であり、21世紀の建築家たちもスロープや有機的な形態を探求し展開させている。

cf>「階段を上るのとはまったく違った感覚を楽しむことができる。階段はふたつのフロアを分断するものだが、スロープはふたつを繋ぐものだ」ル・コルビュジエ

近所にある階段を、引越し前の家にあったもので坂にすることを試みた。
分断された2つの地点を滑らかにつなげるための練習。

いずれも人間の身体を支えるには弱い構造だが、ボールのための坂としては成立し、落ち葉で坂を作った時が、前回提出した「習作_坂で遊ぶ」で坂道にボールを転がした時のような目に見えない傾斜を具現化していた。

敷地の候補:
mauerparkの大階段
ベルリンの壁の基礎になってた段差(Bernauerstr.)
何もない空き地の地形の段差
Bornholmerstrasse★
friedrichstrasseの駅前の階段

どんな文脈の段差をつなげるかが重要であり、いくつかの場所(直感的にベルリンの壁沿い)を実際に訪れてみたが、壁はあくまで壁であり、坂をつくるには大掛かりになり、時間的にも難しかった。

一箇所だけ、地形が起因してベルリンの壁を坂が飲み込んでいる場所があり、ここは今回の坂についてのレファレンスになりうるかなと思った。

 

小野晃太郎『帰路』_220227

『出発』  小野 晃太朗

駅Aと駅Bの間に住んでいる。
家を出るときは駅Aから乗り、帰りはよく駅Bからおりる。
どちらの駅に向かうときも坂道をのぼっていく必要があるし、帰りはいずれも下り坂。

ある日の早朝、家を出て駅Aに向かう途中、集合住宅の入り口に続くスロープを後ろ向きに登る老人がいた。ちょうど『TENET』を見た後だったので、夢を見ているのかスロープの上だけ時の流れが違うのか、少し混乱しながら通り過ぎた。
普段なかなか後ろ向きにあるくことはない。何年か前、当時の同僚に足がしびれたときは後ろ歩きをすると治るのが早いと教えてもらったことがある。実際に畳の上で歩いてみると、痺れの収まりが少し早い気がした。
坂道を後ろ向きにあるくのは、何かの健康法だと聞いたことがある。

前回に提出した『貫井』で使用した写真の場所を経由して帰宅した。
なんとなく坂道に背中を預けてみる。すべり台で滑る途中みたいな身体になる。
そのまま身体を横にして、少しだけ転がり落ちてみた。